ダラダラした話

 我家の周辺が、やっと、普通の状態になりつつある。 水漏れは、とりあえずは、修繕されたようだ。 修繕のためにひっくり返されたフローリングも、元に戻り、パリパリいっていたブルーシートとも、おさらばした。 考えてみれば、ここに越して、間もなく、水漏れが発覚し、フローリングは、ブルーシートで覆われた。 ちゃんと、足元にフローリングを感じるたのは、2ヶ月ぶりということになる。 
 さて、雨漏りであるが、修理日の翌日、家に帰ったら、その雨漏りの場所が、フランケンシュタインの(本当は、フランケンシュタインは、博士で、フランケンと呼ばれているのは、モンスターである)継ぎ接ぎになっておった。 業者から、連絡がないので、修繕が上手くいったのか、いかなかったのかは、分からん。 それでも、周辺がそれなりに見れるようになるのは、気分が良いもんである。

 俺は、というと、時間があったら、真面目に走るようにしている。 そして、本を読むようにしている。 俺は、何気に無音の中で、本を読む事が出来なくて、音楽が鳴っておらんと、駄目なのだ。 だが、引っ越してから、音楽を聴く場合、ラジカセしかなく、これが叉、音が悪いんだ。 だからといって、パソの音源から聴くのも好きではない。 結果、DVDプレイヤーで、CDを流し、音を液晶テレビから出すという方法を取っている。 音源がデジタルだから、ぎゅっと、濃縮されちゃいるが、音の輪郭がしっかりしておるし、一つ一つの音が、しっかり聴こえるのだ。 ちょっと、感動した。 これが、デジタル音源ってヤツなんだな、デジタルアンプは、どんな音を聴かせてくれるのだろうか? と、ちょっと、興味を持ってしまった。 デジタル世代の奴等は、ここら辺からみても確かに俺らとは違うんだろうなぁ。
 こないだ、エディーに関するサイトを巡っておったら、エディー研究家の間では、エディーチューニングなるものがあることを認識されており、単純な半音下げや、ドロップDではなく、Hzの世界で、半音よりも50Hz低いチューニングらしいのね。 そんなの判らんて! 確かにエディー演奏中、ペグを動かして、チューニングを変えるんだよな。 
 トリビュートアルバムのドゥゼェール・ザッパが演奏している 「アンチェインド」 のリフの音が違うんだよ。 ザッパの方は、理論ガチガチの人だから、世に出ているコードで、リフを作り上げているからなのかなぁっと、思っていたが、もしかしたら、違うかもしれない。 

 ヴァイの逸話の中で、エディーに「暗闇の爆撃」(Eruptionとは書かない) のコピーを送り、エディーが聴いて、「完璧だ!」 と、言ったとか、言わないとか。 それが本当だったら、ヴァイは、しっかり、エディーチューニングで、弾いておったということだろうなぁ。 

 天才といわれれる連中は、常識という範疇では、行動せんからな、だから、天才なんだろうけれど。 創世記のエディーは、色んなことをやっておって、ファーストで、あれだけレコーディングに使ったエクスプローラをチェーンソーで、ぶった斬り、音がまるっきり変わってしまい、ショックを受けたらしい。 何故、ぶった斬ったのか不思議ではある。 そのぶった斬ったエクスプローラは、「暗黒の掟」 のジャケットで見る事が出来る。 

 こないだ読んだ週刊誌に天才へのインタビューが載っておった。 その下らん週刊誌は、そこしか読むところがなかったが、おぉっと思わせるところがあった。 天才と呼ばれる連中の頭の中は、基本、数式で一杯だということだな。 町に出ても、車のナンバープレートを果てしなく足していったり、足して素数を探すことやったり、凄かったのが、人と会話をしておって、相手の会話を逆にしたりするらしい。 逆ってあれだよ 「よだれあてっ逆」 というふうに頭の中でやってゆくらしい。 読んでいて、「あぁ、頭の中で、こんなことも出来るんだ」 と、ちょっと興奮した。 電車の中で、広告やら、壁面を数秒見つめ、目をつむり、思い出すことをやったり、書いてあることを暗記するとかやるけれど、そんなレベルじゃないな。 でも、面白い、凄く、面白い。 
 とにかく、あの人たちは、受身じゃないよ、発信するということが限定で、生きているんだ。