鬼の爪

 以前は、人が亡くなると、妙に畏まったようになってしまった。 何を言ったらよいか、何をしたらよいか判らなかったからだ。 しかし、弟、おふくろを見送って、「あぁそういうもんなのか」 と、理解した。 居てほしい人に近くに居てほしく、只、取り留めのない話を聞いてもらえるだけでよいのだ。 

 今月に入って、彼女のおじさんの具合が悪くなり、その状況を見ながら逢っていた。 話しに聞いた限りでは、ちょっと問題のあるおじさんだったようだ。 「亡くなる前に言っておきたいことがあったら、言っておいたほうがいいよ」 と言ったら、「散々、おじさんのことで、話し合ったらから、今更ねぇ話すこともない」 

 CSで、「日本むかしばなし」がやっておって、鬼の爪 という話がやっておった。 業突く張りの金貸しの婆さんが亡くなって、地獄亡者の鬼が迎えに来る。 「業突く張りのばあさんは、地獄に連れてゆくぅ」 っと常田富士男の鬼が亡骸を取りにくるんだ。 それを坊さんが 「死んだもんは、みんな仏様だ、地獄に送らせん」 っと市原悦子の坊さんが言うんだ。 坊さんと、婆さんに散々こっぴどくやられた村人が、お経を唱えて、鬼を追っ払う。 婆さんの棺に鬼が忘れていった爪が付いていたというお話。 死んでしまえば、みんな仏様ってことだ。 

 何だろう、見送る瞬間って、僅かな時間だから、話せないときもあるし、話せるときもある。 伝えなかったときしても、それは、それとして形作られる。 亡くなってしまえば、じゃー次に会ったときに伝えればいいや、とはならない。 その瞬間で、終了なのだ。 伝えたら、伝えたこととして、受け止め、伝えられなかったら、伝えられなかったこととして受け止められる。 

 何が言いたいかって? 会って、その瞬間、浮かんだ言葉あるのなら、絶対に伝えたほうが良いってことだ。 それによって、全然違った世界が広がると思う。 伝えられたときと、伝えられなかったときを経験しているから言える。 但し、これも個人的な考えでしかないけれどな。 

 彼女から、「おじさんは、闘病中の顔が嘘のように穏かな顔で、逝きました」 とメールが来ました。 ご愁傷様です。 きっと、仏様となって、お迎えが来ていることと思います。