ルールは、3つ

 俺は、常々、何で、腹が立つんだろうか? 何で、奥歯に挟まったようにスカッと、ゆかんのか? そんなことを思っておったけれど、単純な話し、納得がいっていないんだよな。 納得がいっていないから、悶々と考え、何がそんなにまで、駄目なのかを考える。 ガキの時分から、そーだったんだが、納得ゆかんと、てこでも動かん性質だった。 俺の周りには、それを上手く紐解いてくれる大人は、居らんかったから、結果として、自分自身でやることになる。 だが、如何せん力不足、知識不足であるから、答えを導くことが出来んかった。 実際、ちゃんと答えが出せるようになったのは、最近の話しである。 
 ここ数ヶ月で、分かったことは、納得ゆかんかったら、納得する状況にまで持ってゆくっちゅー事だな。 そーしとかんと、あとあと、必ず、後悔する。 後悔せんように納得の行く形にすることにしている。

 おふくろの法事については、色々考えた。 日本という文化の中では、冠婚葬祭ちゅーのは、大切であり、叉、うるさいもんだ。 考えの流れとして、おふくろは、どうして欲しいか? どうするか? という部分から考え始めた。 雅美のときには、当然だが、しっかりと、坊さん呼んで、お経を読んでもらい、形どおりにおこなった。 
 さて、どうするか? 俺も、家族を二人失っておると、神ががった事とか宗教とかっていうのは、まるっきり信用しておらん。 霊の存在も信じておらんし、神の存在も信じておらん。 当然、宗教は、人が生きてゆく流れを作るために模した、生き方だと思っている。 まぁ、形が必要な人たちは、入れば良いと思っている。 形が必要ではない人たちは、自分で作ればいい。 
 俺は、当然、後者のほうになる。 おふくろの骨を納骨する時、どうするか迷った。 坊さん呼ばずにサラッと、墓に入れちまおうか? これも、一つの選択だ。 おふくろと、俺は、既に戒名を持っているんだ。 雅美の墓を買ったときに戒名をもらっている。 無料で、もらっている、だから、そんときの恩っていうのかな、そういった思いがあったから、坊さんを呼んだ。 呼んで、どうだったか? まるっきり、有り難味も、なーんも感じんかった。 なーんも感じないだったら、呼んでもしゃーないだろ? というのが俺の答えで、おふくろは、どう思うだろうか? という部分がある。 生前、おふくろは、形にこだわる人だった。 世間体かな。 それは、俺と同じように無教養だからなんだと思う。 恥ずかしいという思いが先に立ってしまい、そうならないためにしっかりとやる。 

 この形ってヤツが曲者だ。 別段、なんにしても形になんぞにこだわる必要はない。 俺は、形や常識に捕らわれる事がない人は、強いと思っている。 自分自身で、形を作り上げる事が出来るのだから、なんに惑わされることなく生きてゆく事が出来る。 
 俺も元来は、そういった類のもんだった。 常識なんぞに振り回されずに生きてゆく類。 おふくろが病気になり、今話題の生活保護を受けるに際して、俺がおこなったことは、受けるべき条件に自分自身を当てはめていったのだ。 多分、今、不正受給している連中の大半がそうである。 役所のやっていることの弱点が、条件に符合すれば、許可が出るということだ。 それは、良いことでもあり、悪いこともである。 はっきり言っておくが、俺は、不正受給はしておらんよ、受けられる範疇で、受け、払わなければならんもんは、払った。 
 ここで、もう一つ、おふくろが病気中にお見舞いを頂き、本当に感謝してます。 今更ですけど、この日本の風習のお見舞い、お祝い、香典という風習は、悪くないのだが、何故、お返しがあるのか? 俺には理解出来ん。 アメリカ人だったら、絶対にお返しはしない! 「お祝い、お見舞いとして、好意でくれているのに何故、お返しをあげなければならない」 と、いうはずだ。 
 おふくろの病中のお見舞いのお返しに関しては、疑問は持っていたが、おふくろは、形に拘る人であるから、お返しをしないわけがない。 分かっていたから、お見舞いの中から、お返しの分をはじいておいた。 本当は、お見舞いとして、100%丸まるもらいたかったのが本心である。 病中の金の工面は、今思っても大変だった。 常に赤字だった。 損失補てんをお見舞いで、やりくりした。 実際、始めの入院で、俺の貯金は、ゼロになったからな。 このお返しの文化は、なくしたほうがいい。 誰だって、いずれ、貰う側に回るのだから、お返しの必要性が理解できない。 

 入院、葬式、結婚式もそうだな、出費があってさ、大変なんだか、こんな文化やめちまったほうが良いよな。 そんな訳で、おふくろの法事は、香典をなしにした。 今後、俺が、お祝いや、お見舞い、香典を出しても、お返しは要らん。 大変なんだから、金は100%納めてくれ。 

 そして、服装も、暑い時に硬っくるしい恰好をしたくないし、させたくはない、だから、普段着にした。 どうせ、俺一人である、俺がルールを作り、それにそっておこなえばいいと思った。