物の役割

 あれだよな、おふくろ死んでから、携帯を持ち歩かなくなった。 早急な用件って、何? 俺の中の早急な用件っちゅーのは、人の生き死に以外にはない、なもんだから、携帯に対する執着はないのだ。 よー分からんなぁ。 それを考えると、世間に逆行した動きをしておる。 「携帯、なければ、生きてゆけん!」 というのが、世間の風潮だ。 

 職場で、「携帯は、どこまで進化するのか?」 という話題が出た。 俺は、即答したけどな 「家で出来ること、全部出来るようになる」 である。 これが、最終的な終着点じゃね? 今現在の状況でも、かなり、束縛されて生活を強いられているように思うのだが、それ以上に束縛されたい! 携帯の発信点から場所が特定できるかと思えば、ネット社会では、匿名性を重んじる。 うーん、みんな、マゾだな。

 人は、自分が出来んことを物で、肩代わりしながら生きてゆく。 車なんか典型だな。 まず、遠くに早く行くためのものとしての役割があり、価値観のステイタスとしての役割もある。 人、本体として、ランドマークとして、力の象徴が分からんから、こーいうもんが必要になってくる。 ゲームにしてもそうだし、映画にしてもそう。 自分自身の中から、娯楽を発信させる事が出来ないから、物に頼らざるを得ない。 もし、想像力で、そいつが賄うことが出来るのなら、必要性はない。 人は、自分の欠けているもんを欲しがるっちゅーことだ。 

 そーか、だから、俺は、必死に教養を身に付けようとしているのか!