時期っぱずれのレース

 久々にブルース・リーの 「燃えよドラゴン」 を観た。 友人から、「死亡遊戯」 と一緒にコンビで借りたのだ。 ベタではあるが、レースの前日に観た。 いやぁ、オープニングの哲学的な問答が素晴らしい。 「Don't think feel」 そして、リーが常々語っていた、格闘理論が、水になれであった。 水は、形を持たず、どこにでも入り込み、津波となり、破壊力を持ち、凍らせると形となる。 だが、解けて再び、形をなくす。 優れた理論は、すべてに応用が可能である。 当然、リーの理論は、すべてに応用が可能である。 いやぁ、アドレナリンがググっと上げるね。

 前日の天気予報は、曇り時々雨、6月に入り、梅雨ちょい手前、湿度じめじめ、しとしと雨である。 予報に雨がつくと、何が面倒かっていうと、備えた準備である。 チョイスするウェアも、それを考えたもんになる。 ロンTと、Tシャツの両方を持ってゆき、ゴミ袋の40Lの首と腕が出させるように切込みを入れて、簡易カッパを作っておく。 荷物も濡れないように大き目の70Lの袋を用意しておいた。 シューズに関しちゃ、防水ではないから、濡れるに任せるしかない。 
 
 雨は大きなストレスになる。 大きなストレスを抱える分、小さなストレスを感じる必要はなくなる。 これをメリットと感じるか、デメリットと感じるかである。 俺は、メリットと感じるのである。 雨の中を走ると、余計なことを一切、考えないで済む。 まぁ、冬場ではないから、雨に濡れたとしても、極端に体温が下がる心配はない。 まぁ、ある意味、晴れるよりは、ましかもしれない。 この時期、晴れると地獄である。 そして、今回、俺が嫌いな河川敷を走ることになる。 あのダラダラと、続く、河川の逃げ場が無いルートをダラダラ走る。 これといって、目標物もなく、ダラダラ走る。 起伏がない分、楽だといえば、楽なのだが、変化がない分、なーんかダレまくるんだ。

 いつもの調整不足ではあるけれど、最低限走れるようには、調整はした。 ここ一月ばかり、身体に負担を掛けずに長い距離を走れるフォームに改良をしておった。 基本に戻す為にフォームを崩さないように走り続けるようにしていた。 俺自身も、いつの間にか45歳になっていた。 いやぁ、四捨五入で、50歳だよ。 俺が、中坊のとき、45歳といったら、おっさんもおっさん、生活にくたびれたおやじしか連想出来んよな。 それが、俺がその年齢になっちまったもの、参ったよねぇ。 それでいながら、自分自身は、現役だと思い込んじゃってる! 参った参った。

 あと、5年は、頑張ろうと思っている。 俺の中では、50歳が一つのターニングポイントである。 そっから先は、くたびれ加減に掛かっているかな。

 本当は、3月にフルマラソンに出る予定だった。 エントリーもしておったし、おふくろの事があって、ちょっとした区切りにするつもりだったが、民事調停を抱えることになり、練習時間が、そいつの準備に取られてしまい、結果、フルを走るまで力をつけることが出来んかった。 ハーフは、誤魔化しで走れるが、フルは、誤魔化しは効かん。 民事調停は、解決したが、その準備で黙殺された時間、出走できなかったフルマラソンなどの責任を一切合財相手に取らせたい気分だ。 民事調停を起こすというと、必ず訊かれるが 「相手に掛かった費用を請求できるんでしょ?」 である。 
 まず、民事調停は、裁判ではない。 裁判官を間に挟み、話し合いをするのだ。 出頭書が相手に届くが、民事調停には、法的な効力は実はない。 知識があるもんは、出廷しないだろう。 そんなわけで、裁判ではないから、相手に費用を請求することは出来ない。 民事調停で、解決しないと、次にお待たせの裁判に進むことになる。 裁判になったとしても、敗訴した側が 「費用を全額を持つ」 という法律はない。 あくまでも慣例である。 しかし、訴状の文言に費用は全額負担するという言葉は入れる。 

 テレビドラマの影響は、本当に大きい。 「訴えてやる!」 と簡単にゆくわけではない。 他愛無い民事調停を起こすにしてもだ、準備に半月は掛かる。 仕事持ちながらやっていれば、どれくらい労力が必要か、想像がつくだろ? 金があるのなら、司法書士でもいいし、弁護士でもいいから、雇って、その人に任せちまったほうがいい。 

 そう、そんなわけだから、6月の時期っぱずれにレースに出る事になった。